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陸奥 (戦艦) : ミニ英和和英辞書
陸奥 (戦艦)[むつ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [りく, ろく]
 (adj-na,n) six (used in legal documents)
: [おく]
 【名詞】 1. interior 2. inner part 
: [いくさ]
 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight 
戦艦 : [せんかん]
 【名詞】 1. battleship 
: [かん]
  1. (n,n-suf) warship 

陸奥 (戦艦) : ウィキペディア日本語版
陸奥 (戦艦)[むつ]

陸奥(むつ)は、大日本帝国海軍戦艦#達大正6年8月p.7『達第九十七號 軍備補充費ヲ以テ本年度建造ニ着手スヘキ戦艦及二等巡洋艦ニ左ノ通命名セラル|大正六年八月二十日 海軍大臣 加藤友三郎|横須賀海軍工廠ニ於テ建造 戰艦 陸奥 ムツ|佐世保海軍工廠ニ於テ建造 二等巡洋艦 球磨 クマ|三菱合資會社長崎造船所ニ於テ建造 二等巡洋艦 多摩 タマ』〕。艦名は青森県から福島県にかけての旧国名・陸奥国を名前の由来に持つ〔#第670号寄贈品に関する件p.3〕〔#幕末以降帝国軍艦写真と史実p.112『陸奥(むつ) 艦種:戦艦 長門と姉妹艦なり。 艦名考:國名なり、東山道陸奥國に採る。 艦歴:本艦は華府軍縮會議開催中竣工し、其の廃案に關して米國の主張に對し、國論を沸騰せしめ熱烈なる國民の支援により残置せらる。當時世界中40糎砲を装備したる戦艦は我が長門・陸奥の二艦のみ。大正14年皇后陛下非公式に御乗艦あらせらる。(略)起工 大正7-6-1/進水 同9-5-31/竣工 同10-11-22』〕。帝国海軍の象徴として日本国民から親しまれたものの、1943年(昭和18年)6月に主砲火薬庫から爆発を起こして沈没した。
== 概要 ==
軍艦 陸奥長門型戦艦の2番艦〔#艦艇類別等級(昭和16年12月31日)p.1『艦艇類別等級表|軍艦|戰艦|長門型|長門、陸奥』〕。八八艦隊計画二番手である。1番艦「長門」と共に、日本の力の象徴として日本国民に長く愛された〔#ポケット海軍年鑑(1935)p.11『戰艦"長門 ながと" 全要目排水量32,720噸 速力23節 備砲40糎砲8門 14糎砲20門 12.7糎高角砲8門 魚雷發射管6門 起工大正6年8月 竣工大正9年11月 建造所呉海軍工廠}長門は40糎砲と云ふ巨砲を世界で初めて搭載した戰艦であり、艦型に於ても従來のものを完全にノツクアウトして列強海軍をして瞠着たらしめた艦である。日本人の頭脳で完成した本艦は、従來先進列強にとかく後塵を拝せしめられてゐた帝國をして一躍彼等をリードする日本人たることを證明したのである。戰艦は云ふまでもなく艦隊の根幹であり、その價値は搭載する主砲の威力と防禦設備如何によつて決定される。主砲は敵主力艦隊撃滅に備ふるものであり、副砲は主として夜戰用、即ち夜間来襲する敵の輕快部隊に備へるものである。尚世界の七大戰艦とは、我が"陸奥"及びこの"長門"。英の"ネルソン" "ロドニー" 米の"ウェスト・ヴアジニア" "コロラド" "メリーランド"の各40糎砲搭載戰艦である。』〕。
また竣工当時は世界に7隻しか存在しなかった40cm砲搭載戦艦として『世界七大戦艦』と呼ばれた〔#ポケット海軍年鑑(1935)p.10『戰艦"陸奥 むつ" 全要目排水量32,720噸 速力23節 備砲40糎砲8門 14糎砲20門 12.7糎高角砲8門 魚雷發射管6門 起工大正7年6月 竣工大正10年10月 建造所横須賀海軍工廠}陸奥は世界七大戰艦の一であり、姉妹艦長門と共に我が海軍の至寶的存在である。こゝに七大戰艦と云ふのは、その排水量の大を指すのではなく、搭載主砲の40糎砲を指すのである。(40糎はこの級の出現した直後のワシントン條約で制限された主砲口徑の最大限である)故にこの陸奥級の出現によつて齎された第一の偉観は従來の36糎砲から40糎砲への躍進である。第二に擧ぐべきは前檣の三脚を脱却してヤグラ式に考案されたことである。40糎主砲8門を前後各二個の砲塔内に収め、副砲10門づヽを兩舷に12.7糎高角砲8門は中部甲板附近に備へてゐる。尚この寫眞で艦の前部やヤグラマストの下方、煙突の兩側に白く連つて見えるのは乗組員の洗濯被服である。全長201.35米、幅28.96米、平均吃水9.14米。(長門も同様)』〕。
長門型戦艦2隻(陸奥、長門)は交互に連合艦隊旗艦の任にあったため、知名度は高かった〔#連合艦隊戦艦12隻を探偵する210頁〕〔#ポケット海軍年鑑(1937)p.10『戰艦"陸奥 むつ" 全要目(略) 陸奥は世界七大戰艦の一であり、姉妹艦長門と共に我が海軍の至寶的存在である。世界の七大戰艦は、排水量を指すのではなく、搭載主砲の口徑を云ふのである。(40糎はワシントン制限條約の主砲口徑の最大限であった))故にこの陸奥級の出現によつて齎された第一の偉観は従來の36糎砲から40糎砲への躍進である。第二に擧ぐべきは前檣が三脚を脱却してヤグラ式に考案されたことであつた。40糎主砲8門を前後各二個の砲塔内に収め、副砲10門づヽを兩舷に12.7糎高角砲8門は中部甲板附近に備へてゐる。全長201.35米、幅28.96米、平均吃水9.14米。(長門も同様)昭和十一年度海軍特別大演習直前に改装終了し晴れの観艦式に参加した。殆ど長門と同様の形で、煙突は一本になつた。"陸奥"は昭和12年度は長門と共に聯合艦隊旗艦として活躍することになつている。如斯"陸奥" "長門"が同時に艦隊に編入されたことはこゝ10年來絶えてなかつたところである。』〕。戦前の学校の教科書に描かれたり、男子がイメージする軍艦といえば、当時の連合艦隊旗艦である長門、陸奥であった〔超精密3DCG戦艦長門 (双葉社 2005年)、#歴群15長門型等参照〕。『陸奥と長門は日本のほこり』といういろはがるたも作られている〔#連合艦隊戦艦12隻を探偵する234頁〕。海軍兵学校でも「陸奥、長門の四〇センチ砲が太平洋を睨んでいればアメリカは攻めてこない」と語り継がれた程である〔#海軍反省会4p.147、野村実(大尉、兵学校71期)談。〕。陸奥湾に入泊した際には多くの青森県民が見学に訪れた〔#松永、ネイビーp.94〕。陸奥艦内神社岩木山神社の御分神を祀っていたため〔#第670号寄贈品に関する件p.9『…且ツ岩木山神社ノ分霊ヲ祀リアル由承リ…』〕、乗組員も岩木山神社に参拝した〔。
第二次世界大戦中には他の戦艦部隊(大和、長門、伊勢、日向、山城、扶桑)等と共に温存されていたものの、1943年(昭和18年)6月8日、原因不明の爆発事故を起こし柱島沖で沈没した。戦後に浮揚作業が行われ、1970年(昭和45年)には艦体の一部や菊の御紋章、主砲身や主砲塔などが回収され、日本各地で陸奥の装備が展示された。大戦末期にアメリカ軍の攻撃で沈没し、終戦後に浮揚され解体処分された他の日本軍艦と異なり、艦体の一部が2011年現在も沈没場所に残っている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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